マックス!カム!221
私たちのまわりの自然景観を作っているのは植物、ことに樹木です。毎日通学の途中に見かける樹木の名前くらいは知っておきたい。せめて、キャンパスで毎日見かける植物達の名前はしっかりと覚えて欲しいものです。植物の名前をおぼえると、芽がでたね、葉が色づいてきたね、蕾がふくらんできたね、花が咲いたね、果実がみのっ てきたね、アッ!実が鳥に食べられたね、葉が落ちたね!と、ふしぎなことにその植物の季節変化に気がつくようになります。植物の名前をおぼえることは自然観察の基礎なのです。野外生物とのふれあいは、毎日の生活のなかで育んでこそ身につくことなのです。すこしでも、植物の名前を知って、植物達と友達になってください。身近な生き物とのふれあいが、諸君の生物学的知識を豊かにしてくれます。

サムライ化学者 高峰譲吉の生涯

千葉では京成ローザで3月5日より公開するそうです。

加古 里子(かこ さとし、1926年3月31日 - )は、日本の絵本作家、児童文学者。工学博士、技術士(化学)。本名は、中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。かこさとし名義でも活動している。

谷津干潟は、ごみ捨て場になっていた。漁業権は放棄され、そこには毎日のようにごみが捨てられていた。下水も流れ込んでいた。いろいろな業種のごみ、屠殺業者による牛や豚の骨、農家や漁師の残りのもの、ふとん、バイク、自転車、犬猫の死体。それらがヘドロの中で泣いているようだった。
昭和50年、習志野市は谷津干潟の生態調査をしたが、その結果は、干潟はまもなく死滅するだろうという内容だった。市長さんは、「谷津干潟は、習志野市の恥だ」と言っていた。
(中略)
ごみを捨てる人も、わざと汚くしてやろうという気持ちで捨てているのではないだろう。手軽で便利だっただけなのだろう。ごみを捨てる人も、家に帰ればいいおかあさんやおとうさんだろう。だから、ごみを捨てさせないということがじつに難しいということを、私は実感した。
私は、雨の日や風の日にごみ拾いを続け、住民や行政とぶつかって孤立していった。自然保護団体は引いてしまっていた。ヘドロの中でごみを拾っている私を指さして、「勉強しないとああいう仕事しかできなくなるんだよ」と子供に言う母親もいた。
私はとにかくこの挑戦に勝たなくてはならないと思っていた。だから続けなくてはいけない。谷津遊園地にいる動物たちのいびきを聞きながら、夜中の12時に看板を立てにいく。お墓での肝試しよりずっと怖かった。
やがて、「自分たちが近くに住んでいるこの場所を汚くしているのは良くないから、昼間だけでも手伝いましょう」と言って手伝ってくれる主婦の方が現れた。そうして、3、4人の方たちが手伝ってくれた。おかげで、それまで私が呼ばれてきた「きちがい、変人の森田」に対する評価が変わっていった。こうして協力者が出てきてくれたことに、私は感謝の気持ちでいっぱいだった。しかし、あいかわらずごみは捨てられていた。

私は考えた。谷津干潟の周囲は約4キロ。昼間、一番目立つところで、クリーン作戦を行うことにしたのだ。約100メートルの部分だけを徹底的にきれいにした。近所の人が心配してくれて、破傷風の注射を打ってくれた。いろいろな方々が協力し始めてくれて、すこしずつではあるが、だんだん干潟がきれいになってきた。ビニールや鉄板、タイヤ、ヘドロは泡状。しかし、何週間かすると臭いがしなくなってくる。次第に貝やカニ、ゴカイが現れてくる。
私は、彼らが「ありがとう、ありがとう」と言ってくれているような気がした。やれば、すこしずつきれいになっていく。私は、これしかないと思った。
干潟がきれいになり始めると、次第に、ごみの投げ捨てが止まっていった。
私はやればできるんだということを実感した。できないということはない、不可能なことはない。習志野市民でもない自分、そして主婦の方が協力してくれて、ごみの投げ捨てを止めることができたということ。
(中略)
その後、干潟は日本有数の水鳥の宝庫となり、昭和63年、国設鳥獣保護区に指定された。平成10年には、ラムサール条約に登録した。

私は、いまの谷津干潟の姿を目的として活動してきたわけではない。私にとって、ごみ拾いは手段でしかない。もし仮に、昭和49年当時に戻り、またごみ拾いをするのかと尋ねられたとしたら、私はまた、「私のふるさとである谷津干潟のごみを拾う」と答えるだろう。私は15、6年前にボランティアという考えはやめている。私のごみ拾いは、ボランティア活動や環境保護運動ではない。私の日常生活の一部なのである。
皆さんは、何一つ自分のものになるわけでもないのに、それでも残したい、悪口を言われても行政と戦ってでも残したいというような、涙がこみ上げてくるような「ふるさと」をお持ちだろうか。
私は、この28年間、私のふるさとである谷津干潟の生き物たちの命を想い、行動してきただけである。

環境公開講座 2002.10.22 10年ゴミを拾い続けると…~ある県議会議員の話

“皆さんは、何一つ自分のものになるわけでもないのに、それでも残したい、悪口を言われても行政と戦ってでも残したいというような、涙がこみ上げてくるような「ふるさと」をお持ちだろうか。”

(via mightyflapper)

そういえば、宍道湖・中海淡水化事業は工事の遅れと反対運動もあって中止されたけど、あれってほとんど外圧なんだよなぁ。もちろん漁師さんとか直接生業に関わる人たちは反対して当然なんだけど、ほとんどの地元民は「淡水化してもよかった」りしたのだよ。たとえ当初の大義を失っていたとしてもね。生態系がどうのとかわめいてた環境保護団体もいたし、宍道湖のシジミがどうとか言ってた某グルメ漫画とかもあったけど、大きなお世話だ。そもそも宍道湖のシジミの多くは関西や関東に流れて、地元民は残ったクズしか食べられない。まぁクズだから値段は二束三文で安くいただけるという強みはあったけど。何が本当に地元のためになるかは簡単には分からないものである。ノスタルジックな感情や他所者の銭勘定だけで民意が流されるようなことがあってはいけない。ときには必要な「変化」もあるのだよ。

(via hexe)